スポーツは「良い子」を育てるか!?
テニスに夢中な次女は、現在中学 2 年生。学校の部活ではなくテニスクラブに通いながら、「いつかは全国大会に出場したい」という思いから、日夜テニスに明け暮れています。
そういう私も、中学生の時は(というより、大学 2 年生の夏になるまで)バスケットボールに明け暮れていたし、我実弟は、甲子園ボーイで野球推薦で大学へ進学した所謂世間でいるスポーツ一族でした。
私は、中学 1 年生の時、身長 177cm という当時の中学生として長身で、それこそバスケットボールでは結構有名な中学生でした。ところが、高校、大学とまったく身長が伸びず・・・今も 179cm という身長ですから、中学生の時の長身による有利さは、高校生では普通になり、大学生では小柄なバスケットプレーヤーとなってしまいました。
そうした経験から、小・中学生時のスポーツの戦績をまったく信じていないし、本来高校生、大学生と進むにつれて強くならなければ、とちょっとした嫉妬もあってそう信じようとしていたわけです。
そんな時に書店で見つけた新書、永井洋一著「スポーツは「良い子」を育てるか」 (生活人新書:2004年6月)は、痛烈な印象を与えてくれました!まだ、完読はしていませんが、興味深い記述があちらこちらに記述されています。
内容は、小中学生向けに、スポーツに対する監督、コーチ、親といった大人の間違った行動を痛烈に批判していて、ところどころの説明に利用される脳科学や心理学、更には実体験は本当に説得力があります。
ただ、「両親」とか「母親」といった表現はあるのですが、「父親」という表現が無く、悪い事例に多くの場合「母親」という表現があって、ちょっと不愉快かもしれません。とにかく、スポーツをやっている小学生や中学生の母親の子供に対する接し方を痛烈に批判している事例が多いのが気になりました。
それでも、新書の内容に「フェアプレーという幻想」、「薬物との戦い」、「現実を冷静に見よ」、「勝利の代償として失われていくもの」、「脳まで筋肉」などショッキングな内容が詳細に記述されています。特に、小・中学生で勝敗に固執することによって、子供達はスポーツの本来の内容を忘れてしまう、とまで言い切っています。
勝利という麻薬に溺れて「調教」されることを受け入れていくと、やがてその子供はスポーツで最も重要な「自律」の能力、つまり自ら考え工夫し、自分をコントロールしていく能力を弱めてしまうことになります。指示に対しては忠実に遂行できるものの、自分の判断を迫られるような局面になると応用力が発揮できない人間になってしまいます。(p.132)
小・中学生のうちに、「勝利」という最も子供達が興味を示しやすい事項にまかせて、大人達がその「勝利」に向けて子供を「調教」している、と言っているのです。
如何ですか・・・ちょっと衝撃的な新書です。