息苦しさを感じる文章
以前、「手前味噌ですが・・・お褒めのお言葉を頂きました!」という投稿記事で、本ブログに関してのお褒めのお言葉を頂いたことをご紹介しました。
この時には、「洒脱な文章と言うのかな、まじめだけど肩肘のツッパリのない気楽に読める文章」と指摘して頂いて、とっても嬉しかった!その時は、明確に記述しませんでしたが、私個人としては、文面を評価して頂いたのは、本当に嬉しかったのです。
なぜなら、本ブログの全ての投稿記事に関しては、以下のような事項に関して最善の注意を払っているから!
- 文章の終わりは、「です」、「ます」を基本とすること。
- 絵文字は使用しないこと。
- 大きな写真やイメージは可能な限り使用しないこと。
- 個人で運営されているブログに対して、誹謗中傷の投稿内容を避けること。
- 公開後も加筆、修正を継続すること。
- 気分が乗らないときは、無理に投稿記事を公開しないこと。
- 引用に関しては、その引用に対して敬意を表現すること。
こうした暗黙のルールが効を奏した、と本当に嬉しかったわけです。特に、上記リストの第 1、4、7 項は、何度も投稿記事の内容を確認してから公開するようにしています。
こうした漠然としてですが、ルールを自分なりに決めて、自分なりに注意して、投稿記事を公開していますが、「誰もそんな事は気にしないよな~きっと!」なんて考えていた矢先でした。
以前ご紹介した内田樹著「ためらいの倫理学―戦争・性・物語」(角川文庫:2003年8月)は、多くのことを学ぶことができますが、この文庫の中に「当為の文法」という言葉使われています。
私は、「当為の文法」という言葉の意味が解りませんが、どうやら文脈から、「息苦しい文章」を感じさせるような文章形式をいうらしいのですが・・・
以下、その説明を引用しましょう。
わずか半頁、センテンスの数にして十五の文章の末尾には「~しなければならない」が三回、「~だったはずだ」が一回、「~のために」が二回用いられている。つまりこの文章の半分は英語で言えば、「must」の構文で占められているのである。ほかに、「~ではなかっただろうか」と「~なのではないか」という修辞的な否定疑問(これはほんらい、論戦で相手を追いつめるときに頻用される「攻め」の構文である)が、それぞれ二回。(p.229)
やっぱり文章を記述する時には、注意が必要ですよね!こうして、文章の構文を解析すると、内容によっては細心の注意が必要ということです。ちょっと拘って、本ブログも記述しているつもりですから(といっても実現できていない場合も多いとは思いますが・・・)、良かった、良かった!
そうした中、文章の書き方に関しては、一度も勉強したことがありません。それこそ、小・中・高校のときの国語の時間、そして最も文章に拘った大学での卒業論文と大学院での修士論文・・・そうそう、学会での発表時おける論文は、相当神経を使って書き上げた記憶があります。
書いては修正され、書いては修正されを繰り返して・・・いやというほど論文の修正したっけな~懐かしい!
上記のような経験は、貴重だったのですが、それでもやっぱり正式には勉強したことがない、文章の書き方って。相当前ですが、何かの雑誌でビジネスマンへの推薦図書としての本多勝一著「日本語の作文技術」(朝日文庫:1982年1月)を思い出しました。ちょっと古い本で、賛否両論あるようですが、やはりこうした本は一度目を通しておいた方は良さそうですね。