本村洋氏、冷静沈着、そして知的なコメントに思う
遂に「死刑」が宣告されたようですね。既にご存じない方はいらっしゃらないでしょうけど、1999 年 4 月 14 日に起きた「光市母子殺害事件」に対しての差し戻し控訴審での判決。4 月 14 日は、私の次女の誕生日でしたから、個人的には良く覚えているし、ここのところ、連日報道されていますから、その経過は誰でもご存知でしょう。特に、本日の結審までの経緯は、「MSN産経ニュース::【光市母子殺害】被告に死刑宣告 新供述は「不自然、不整合、到底信用できない」に詳しいので、そちらを参照して頂きたいと思います。
それにしても、あの本村洋氏は、どうしてあんなに冷静沈着に、そして知的に振舞えるのか。9 年という月日の経過がそうさせるのでしょうか。妻と愛娘を殺害された 9 年前は、「法が極刑を下さないのであるなら、私の手で犯人を殺すだけ」とメディアのインタビューに解答して、話題になりましたが、20 代前半であった本村氏のそうした言動に、私は逆に「本音だろうな~」と感動さえ覚えた記憶があります。
本日の裁判後のインタビューでも、死刑賛成の方も反対の方も、目指しているのは、こうした極刑の無い世の中にすることであって、「死刑」という刑罰が結審されない世の中にするためにどうしたら良いかを真剣に考える次期、と発言しているのも好感が持てました。
本村氏に「真の笑顔」が戻ることはあるのでしょうか。やっとでた極刑の結審を「他人事」にしないよう、我々世間も真剣にこうしたことを考えなければいけないと痛感しました。
そうした中、この裁判で争点になっていた「被告人」の年齢。事件当時、18 歳と 1 ヶ月。そして、殺害した人数・・・なんともやりきれない争点ですが、こうした「死刑」に関する適用判断基準というのがあるそうで、それを「永山基準」というそうです。特に以下のような 9 項目が基準として参考にされ、これまでは、こうしたかの事件での判例をベースに結審されていた・・・
- 犯罪の性質
- 犯行の動機
- 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
- 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
- 遺族の被害感情
- 社会的影響
- 犯人の年齢
- 前科
- 犯行後の情状
上記は、1968 年に起きた「永山則夫連続射殺事件」がベースになっていて、その後、死刑適用基準として参考にされているそうですが、そうした基準を外し、「光市母子殺害事件」単独の司法判断が下されたということで、これからの裁判制度に大きな影響力がある、とされています。
これまで、こうした「基準」が参照され、前例をもって裁判が進んでいるということを始めて知って、それこそ驚きと絶望感があったことは間違いありません。特に、少年法が適用されるような被告に対しての保護は、徹底しているように見えますが、今回の事件のように「被害者」に関しては、まったく「保護」されていないことへの憤りは、誰でも認めるところでしょう。
被告の弁護人達は、最高裁への上告を決めたそうです・・・更に、1 年程の時間が掛る可能性があるという。本村氏には、本当に頭が下がる思いと、我々のような凡人は、真剣に、そして冷静にこの事件から、何を学び、何を改善するかを考えることが重要なのでしょう。
【参考】
本村洋氏・・・私は、この人のバックグラウンドはどんなものなのか、とても興味がありました。弁護士よりも理路整然としての説明や裁判批判、更には被告人に対するコメント等は、正に知識人として、高く評価できると感じています。
「NEWSでいいとも!::山口母子、本村洋さんの職業に思う」に、本村氏のプロフィールの記述がありましたので、ご紹介しておきましょう。
実際の本村さんの経歴は堺市で生まれ、小倉にある北九州工業高専に進学したのちに広島大学工学部に編入をし卒業(中略)卒業後は、新日本製鉄(現 新日鐵住金ステンレス株式会社)に就職
事件が、上記の新日鉄の社宅で起きたということが関係しているのか、「あの事件を受け、会社は全面的に協力をしてくれている」そうです。