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カテゴリー:「戯言:ビジネス」に関するアーカイブ

文字通り仕事関連の投稿記事。コンサルタントとしての視点を独断と偏見で・・・

デミング博士って!?

とても興味深い投稿記事を見つけました。「On Off and Beyond::メタボリックシンドロームは新たなデミングか」がそれですが、デミング博士に関する記述がありました。

投稿記事は、どうやらメタボリックシンドロームとデミングは、似たような境遇で、日本では有名だがアメリカでは、知っている人のほうが少ない、といった感じでしょうか。詳細は、上記の投稿記事を確認して頂くとして・・・

デミングに関する記述に、以下のような内容が記されています。

話は飛ぶがトヨタの品質管理の基礎となったことで有名なデミング博士。統計処理を利用した品質管理の礎を築いた重要な人物だが、この人のアメリカでの知名度はかなり低い。1993 年に亡くなったとき、日本の製造業界ではヒーローだったが、アメリカではやっと「そんな人がいるの?」と思われてきたところであった模様。

デミングの緻密な理論的品質管理は、大変すぎて現場に応用不可と、アメリカ人は切り捨ててしまったから、とも言われる。ところが日本では、まじめにデミングの理論を応用し、見事に工業生産品の品質を向上した。

上記の記述は、ある意味正しいのですが、もうちょっと正確に記述すると、デミングがトヨタに伝えた統計的品質管理は、トヨタによって、更なる改良が施され、当時は、「Total Quality Control::TQC」として、いろいろなアメリカ企業が学びました。つまり、1990 年頃の品質管理は、デミングが提唱した品質管理ではなかった・・・

1990 年頃、日本はバブルの真っ盛り!日本の景気は、正に絶好調の時でした。あの IBM が日立に買収されてしまう、とか、フォードや GM といった自動車産業も日本の企業に追い抜かれるのではないかと、アメリカでは、必死で「どうしたら、世界一の座を死守できるのか」を考えていた時期でした。

実は、アメリカの企業でもデミングの提唱する「統計的品質管理」は実践していました。しかし、1990 年頃にアメリカ企業が日本から学んだのは、デミングの言う品質管理の領域をはるかに超越した、いわゆる「日本的品質管理」でした。よって、上記の投稿記事にあるような「デミングの緻密な理論的品質管理は、大変すぎて現場に応用不可」というより、「デミングが提唱した統計的品質管理を応用した日本的品質管理は、大変過ぎた」とするのが正しいでしょう。また、上記の投稿記事にあるように、1993 年頃、デミングの名前は、やっと全国区になって来ましたが、それ以前はほとんど無名でした。

トヨタの品質管理は、「終身雇用」、「年功序列」といった日本特有のバックグラウンドを武器にして、小集団活動や自主的な現場改善がベースでした。しかし、こうした小集団活動や現場改善は、アメリカのレイオフすることをベースにした現場では、根付かず、逆に、「日本的品質管理」を現場に強要したフォードや GM は、作業者達や労働組合から訴訟を起されるといった問題が発生してしまったわけです。

そうした経緯があって、結局はアメリカの企業では、「日本的品質管理」が根付かなかった・・・しかし、品質に拘った管理手法は、その後、「Total Quality Management::TQM」として提唱されます。「顧客 No.1」とか「Vision Management」といった言葉も日本の品質管理がベースだし、「リーン生産」や「Business Process Re-Engineering::BPR」も実は日本の品質管理がベースです。

更に・・・今は、ごくごく普通になりましたが、ISO 9000 なんていうのも、日本が誇る「デミング賞」や「JIS」といったものがベースになっています。

上記は、私が 1988 年から 1996 年までアメリカ在住で、品質管理関係のコンサルタントをやっていましたから、まずは間違いないと思います。デミングとは、何度か一緒に実際にコンサルティングをやった事があるし・・・

上記のような内容は、投稿記事にしていくと、延々と書き綴ってしまうので、この位にしておきますが・・・

プロフェッショナル原論:プロフェッショナルの定義

プロフェッショナル原論コンサルタントたるもの、最低でも週一回は書店に立ち寄り、新しい話題はないか、どんな話題が旬なのか、注目の著者は何か新しい書籍を出版していないか等々、書店での観察は重要な仕事の一部だと考えています。

先日も、書店に立ち寄りましたが、何と「プロフェッショナル」と銘打ったコーナーがありました。「また、プロフェッショナルでもない連中が、やたらとプロフェッショナルを語るなよ!」何て考えながらそのコーナーを覗いてみると・・・一冊の新書が積み上げてありました。それは、波頭亮著「プロフェッショナル原論」(ちくま新書:2006年11月)というタイトルでした。何が原論だ・・・と、ほとんど内容に対しての期待は無かったのですが、ちょっとページをめくってみると、何とも心地良くすらすらと読めていく。暫く立ち読み。すると「まえがき」に以下の一文が掲載されていました。

医者や弁護士等の長い歴史を持つプロフェッショナルな職業は、国家試験や公的資格によってプロフェッショナルとしての身分が保証されているが、一方コンサルタントには何の試験もない代わりに、何の資格も保証もない。だからこそコンサルタントが認められるためには、プロフェッショナルとしての実質が強く問われることになる。

日頃から、医者や弁護士、公認会計士等の所謂「先生」と呼ばれる人達と我々コンサルタントでは大きな違いがある、と信じて業務をしてきたので、この一文はある種、痛快でした!

さてさて、定義に拘るのは、コンサルタントの一種の癖!?。何でもかんでも、どう定義するかが話題になります。既に公式に定義されている内容でも、「我々は、こう定義する」と勝手に解釈して定義するのもコンサルタントです。

先にご紹介した波頭亮著「プロフェッショナル原論」(ちくま新書:2006年11月)でも最初の章に「プロフェッショナルとは」として定義を記述しています。

プロフェッショナルとは、一言で表すならば、「高度な知識と技術によってクライアントの依頼事項を適えるインディペンデントな職業」と定義することができる。

書籍そのものには、この定義に関して、詳細が説明されているのですが、どうもカタカナが多い。昔、私が若いころ、やはり定義に拘り試行錯誤してた時代がありますが、あるお客様から「いろいろと定義することは重要だが、もっと解りやすくすることが必要じゃない?だいたいカタカナが多過ぎるよ!」と指摘されたことがあります。コンサルタントから言わせれば、「カタカナで定義するにはそれなりの理由がある」と言い訳したいところですが、実際にお客様が理解できないのであれば、定義自体が意味がなくなってしまいます。

波頭氏のプロフェッショナルの定義も、「クライアント」と「インディペンデント」とこの短い定義の中に、2つもカタカナが含まれています。クライアントという言葉は、多くの人が理解できると予想しますが、「インディペンデント」というカタカナ用語は、一般的ではないような気がします。どういう意味??と必ず質問されそうですよね。しかし、こうした拘りもコンサルタントとしての重要な資質でしょうから、これはこれで優れていると感じます。

さて、この定義、3つの要件を備えているとしています。その3つとは、1) 職能に関する規定、2) 仕事の形式に関する規定、3) 身分に関する規定、だ、としています。この3つの要件に関しては、改めて詳細を記述していこうと思います。

転職する理由

情報システムに関するエンジニアやコンサルタントの人手不足は、どうやらどこの企業も深刻なようです。私の勤務先でも、単純計算で 20 名以上の人手が足りません。

そういう状況下で、当然ですが「中途採用」を強力に進めている企業も多くなってきました。インターネットでも転職に関するサイトが増殖していると聞きます。

私は、現在、人事権(中途採用者の決定をする)を持っていますので、いろいろと転職を希望される方々との面接を担当しています。昨日も何名かの経歴書を確認しましたが、どうやら最近の傾向として、転職を希望される方々にちょっとした変化が・・・

私は、必ず「将来はどうしたいの?」という質問をすることにしています。経歴書や履歴書に関しても、「将来どうしたいのか」が明確に記述されているものは私個人では評価が高い!しかし、最近では、こうした将来に関して記述している経歴書や履歴書は皆無と言っていいかもしれません。

また、面接をしても「自分の将来」を語れる人が本当に少なくなった・・・

一方で、「希望年収」に関しては明確な説明と記述ができる・・・先日も、「将来は・・・」の質問に関して、「御社が私に要求することは必ずや全うしてみせます」と解答して、その後えんえんに「希望年収とその根拠」を説明している方がいらっしゃいました。

私は、自分の夢がありました。転職には、当然ですがその夢を達成するため、という理由が付いて廻りました。つまり、企業は私個人の夢を達成するための手段でした。それは、いまだに変更されることはありません。

転職するということは、それなりのリスクを覚悟する必要があるし、家族があれば、家族にも迷惑を掛けることになります。そうした中、あまりにも「年収」ばかりが「転職理由」になっているような気がしますが・・・きちっと転職する目的を明確にして、転職することで自分がどうなりたいか、どうしたいかを明確にして欲しいな~と強く感じる最近です。

プロフェッショナル原論

自分のブログで公開した投稿記事を探すことは良くあることなのでしょうか!?「確か以前に書いた記憶があるけど・・・」なんていう想いになり、バラバラに散らばっている自分の投稿記事を検索したりして・・・なんとも滑稽な姿ではあるのですが。

「プロフェッショナル」に関しても何度も投稿記事を公開したよな~という思いから以前のブログを探しているとやっぱりあった!2007 年 2 月に書いていました・・・以下がその投稿記事。内容はちょっと「今時」としては、ちょっと時代錯誤の表現があるかもしれませんが、自分のために再掲載しておきたいと思います。

プロフェッショナル原論コンサルタントたるもの、最低でも週一回は書店に立ち寄り、新しい話題はないか、どんな話題が旬なのか、注目の著者は何か新しい書籍を出版していないか等々、書店での観察は重要な仕事の一部だと考えています。

先日も、書店に立ち寄りましたが、最近では新書と呼ばれる書籍がブームのようで、本自体のサイズが、とっても都合が良いし、読み切るという観点からは、丁度良い量ではないでしょうか。ましてや価格は、1000円を超えることが無く、購入し易いということも流行の原因なのかな。

そんな想いをめぐらせながら店内を歩いていると、何と「プロフェッショナル」と銘打ったコーナーがありました。「また、プロフェッショナルでもない連中が、やたらとプロフェッショナルを語るなよ!」何て考えながらそのコーナーを覗いてみると・・・一冊の新書が積み上げてありました。それは、波頭亮著「プロフェッショナル原論」(ちくま新書:2006年11月)というタイトルでした。何が原論だ・・・と、ほとんど内容に対しての期待は無かったのですが、ちょっとページをめくってみると、何とも心地良くすらすらと読めていく。暫く立ち読み。すると「まえがき」に以下の一文が掲載されていました。

医者や弁護士等の長い歴史を持つプロフェッショナルな職業は、国家試験や公的資格によってプロフェッショナルとしての身分が保証されているが、一方コンサルタントには何の試験もない代わりに、何の資格も保証もない。だからこそコンサルタントが認められるためには、プロフェッショナルとしての実質が強く問われることになる。

日頃から、医者や弁護士、公認会計士等の所謂「先生」と呼ばれる人達と我々コンサルタントでは大きな違いがある、と信じて業務をしてきたので、この一文はある種、痛快でした!

そして、書店のレジへ。購入してわずか数時間で読破してしまいました。コンサルタントとしてのポジションを最初から最後まで崩す事無く(当たり前かも・・・)、正に私が言いたかったことを本当に明快に記述しています。これまでにこうした書籍が存在しただろうか、といった単純な疑問も沸いてきました。

コンサルタントの方々には、真の!?コンサルタントを知るための正に「原論」をみたような感動を与えてくれたこの書籍、是非一読して頂きたい、と感じています。

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